専業主婦からWebデザイナーになった私のはなし -海外編-

普通の専業主婦がフリーランスWebデザイナーになるまで

こんにちは😀

長崎・諫早でホームページ制作をはじめとするデザイン制作を行なっているIkumi designです☘️

私は2022年からフリーランスのwebデザイナーとして活動していますが、それまでは何のスキルもない本当にただの専業主婦でした。

そんな私がどのような人生を送ってwebデザイナーになったのか・どうしてwebデザイナーとして働くことを選んだのかを書いてみようと思います。

長くなるので3シリーズくらいに分けてみようと思います(誰得〜🤣)

目次

大学を卒業して就職〜結婚するまで

改めまして、Ikumi design のこばやし いくみ です。

佐賀の田舎で生まれ、長崎大学・水産学部を卒業し某食品メーカーの商品開発課で新商品の開発業務に携わっていました。

この職場で主人と出会い、メキシコへの海外転勤が決まったことで結婚をしました。

海外に行くということで親もびっくり、周りの友達もびっくり😳

自分自身は不安もありつつとてもワクワクしていました。きっと若さのおかげですね。まだ25歳だったので怖いものなしです。

結婚式を挙げて2週間ほどでメキシコに旅立ちました✈️

メキシコ駐在中のわたし

メキシコに降り立って最初に口にしたものは『ハンバーガー』。それも私がこれまで食べてきたハンバーガーの軽く2倍の大きさがあり、MサイズのジュースはLLサイズくらいありました。

緊張と時差ぼけとカルチャーショックとが混ざり合って、半分も食べられなかったことを鮮明に覚えています。

メキシコに着いた翌日のカラッとした青空、今まで見たことのないような木が生えていて、見慣れた日本家屋ではないメキシカンな自分の家。

『あ〜私は本当に遠いところに来たんだな…』と実感しました。

そして、ずっと家にいるいわゆる” 専業主婦 ”の人生もスタート。これまでやってた仕事が好きではなく辞めたいな〜なんて思ったこともあったので、最初は気持ちが晴れ晴れしていました。

でも毎日家事しかやることがないとだんだん張りがなくなってきます。『日本に戻ったらまた働くんだ!』という気持ちも強かったので、毎月日経ウーマンというビジネス雑誌を読んでモチベーションを保とうとしていましたが

専業主婦をやっていてもアウトプットをする場がないので読んでてもなんか虚しい気持ちになるんですよね。

自分や家族のために一生懸命働いている雑誌の中の女性がキラキラ輝いて見えて、でもそれを読んでいる自分は毎日同じことの繰り返し。きっとギャップを感じていたんだと思います。

そんなこんなで一年くらいで読むのを辞めました。

そんな生活の中でも、『せっかくメキシコに来たのなら語学を覚えて日常生活を充実させよう!』とメキシコの公用語であるスペイン語を学び始めたことで生活が一変しました。

毎日朝から語学学校に通い、授業が終わったら宿題をしたり予習をしたり。本当にゼロの状態から学習をスタートさせたので初めは泣くくらい辛くて(ガチで家で泣いていました。それくらい難しかった…)、それでも辞めなかったので1年くらい経つと日常生活には困らないレベルまでに成長✨

語学を学びに外にでたおかげでメキシコ人の友人もでき、彼らと交流できたおかげでよりメキシコのことを知れたし日本人とは違う感覚に直に触れることができました。大切な財産です☺️

そして何より、メキシコに滞在していた4年弱の間細く長くスペイン語の勉強を続けられたことは自分にとっても大きな自信になっています。

ゼロからでも本気でやれば必ず実になることを自分自身で証明できたかな〜😉

メキシコ滞在中に第一子を妊娠し、出産のため日本に一時帰国している間にアメリカへの転勤が決まったので次の赴任地・アメリカに向かいます✈️

アメリカ駐在中のわたし

第一子が7ヶ月の時、アメリカ・マイアミに赴任します。

『アメリカ生活できるなんてめっちゃオシャレ!✨』なんて思われるかも知れませんが、旅行ベースで行くのと現地で生活をするのは話が違います。しかも子連れ。

慣れない場所で赤ちゃんの面倒を見ることがつらくて大変で、赴任して最初の1ヶ月くらいは本当に毎日泣いていました😭ストレスで食事もあまり喉を通らなかったので3キロくらい痩せて

主人からは『本当に辛いなら日本に帰ってもいいよ』と言われるくらい絶望的なスタートでした。

でもいつまでも泣いてはいられません。泣いてても赤ちゃんは日々母親を求めてくるので、そんな我が子を外に連れ出して刺激を与えてあげたいと思う気持ちが勝ります。

図書館のイベントに参加したり、ベビージムに入会して体を動かしたり、日本人コミュニティとの関わりを持ったり。

自分のためというよりも子供のために外に出て行くようになったことで徐々に現地での生活が軌道に乗ってきました。

子供が現地スクールに通い出して少し自分の時間ができた頃、英会話を習い出したりパソコンで簡単なプログラミングに触れたりしていました。

あの頃もう少し本格的にプログラミングやコーディングをやっていれば今また違ったかな〜なんて思うこともありますが、後悔先に立たず。

それでも少しパソコンを触っていたおかげでスムーズにウェブデザインの勉強も進められたので良しとします🙆‍♀️

アメリカに赴任して3年弱、コロナが世界中で蔓延したことにより日本に本帰国することになりました。

わたしがWebデザイナーになるまで -海外編まとめ-

こうして振り返ってみると、結婚してからの約7年は私の人生の中で1番濃いものでした。

そこで感じたのは、『自分で道を切り開いて行くことの大切さ。自分が行動すれば何かが変わるということ』。メキシコでもアメリカでも最初は慣れない環境で心身ともにきつい状態でしたが

そんな中でも閉じこもらず外に出た結果生活を充実させられたことは、私の中での大きな財産であり自分を強くしたことです。

それは確実に今このフリーランスwebデザイナーとして働いていることにも生きている

そう思っています。

日本に帰国してからどうやって今の自分の姿になったのかは次回をお楽しみに⭐️

普通の専業主婦がフリーランスWebデザイナーになるまで

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この記事を書いた人

フリーランスウェブデザイナーの小林郁美です。クライアント様のサービスの魅力をワンランクアップさせるデザインをお作りし、事業の加速の後押しをします。

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